普通の天使は存在する。エティエンヌ・レンゾは彼らを目撃し、写真に収めてきた。彼の天使は女性的であり男性的でもあり、地上的であり天上的でもある。彼らは、発見されるべきめったに見ることのできない写真に宿っている。
エティエンヌ・レンゾは、70年代半ばから身体と魂の写真家として活動してきた。プロの写真家、農民、飛行機パイロット、整備士、会社役員として働きながら、独自の活動を展開してきた。また、鋳物職人や地方議員としても働いてきた。
この非典型的な経歴が、フィルムとデジタルの両方で、特にポートレートを中心に、技術的にも審美的にも質の高い写真を開発することを可能にした。それは、身体と魂の本質に触れる写真である。特に自然の中のヌードでは、人間が人間以外の動物、鉱物、植物と融合する。
エティエンヌ・レンゾは、ミューズや自然の精霊、人々のオーラにも興味を持っている。こうして彼は、目に見えるものと見えないものの二面性を表現する写真家となった。彼のキャリアは比較的芸術的に孤立しているため、目に見えないものでもある。そのおかげで彼は、大地、動物、空気と触れ合いながら、唯一無二の真摯で土着的な詩学を創り出すことができた。それは、今回彼が選んだ羊飼いの女と天使の2つのイメージ・シリーズにも反映されている。
自然環境に浸る身体や、羊や豚の群れに付き添う裸の羊飼いの女たちの写真は、農業や大地に根ざした体験に起源を持つ。裸の羊や豚の群れと同じように、羊飼いの女もその群れと対等である。これらのイメージには牧歌的で神話的なものがあるが、同時にエコロジカルでエロティックな女性らしさもある。エティエンヌ・レンゾにとって、羊飼いの女たちは、「動物たちとの親密さを通して、神話的空間の目に見えないものとのミューズであり仲介者である」とも言える。
写真家の作品においても、彼の展覧会においても、羊飼いの女神は天使への道を開いている。しかし、エティエンヌ・レンゾの空中浮遊する天使は、ヴィム・ヴェンダースの作品に比べれば、それほど高くはない。それらはまた、何よりも「善良な人々」を神聖なものとする人間の肖像でもある。あるいは正義の魂。いわば普通の天使たちだ。
地上と天空の架け橋となるこの2つのポートレート・シリーズを通して、エティエンヌ・レンゾの写真は、文明が遅滞なく対応しなければならない、自然と人間との再接続という課題を特に象徴していることが明らかになった。だからこそ、物事、身体、魂の深遠な本質と再びつながる手段として、今日の視覚的風景において正当な位置を占めているのだ。
パスカル・ピケ『見えない美術館